コスモスクエア駅は大阪メトロ中央線と南港ポートタウン線の終着駅で1997年に開業した。大阪市住之江区にある咲州の追加埋め立て地にあたり、付近は「コスモスクエア新都心」として大規模開発が行われたエリアだ。
このコスモスクエア新都心は「テクノポート大阪」計画の核となるエリアであったが、同計画が破綻したこともあり、新都心の呼ぶには少し寂しい状態になっている。
同地区には大阪府咲州庁舎(WTCコスモタワー)をはじめとして、ミズノ・日立造船本社やハイアットリージェンシーホテル、インテックス大阪(国際展示場)、ATC(商業施設)などある程度の都市機能集積も見られるが、空き地の多い印象がぬぐえない。
コスモスクエアが発展しなかった要因
同地区の分譲が進まなかった理由として、都心から遠く不便なことが挙げられる。しかしコスモスクエア駅は梅田駅から25分ほどでアクセスでき、大阪最大の郊外拠点の一つである千里中央(〃21分)に比べ大きく不利ではない。
ところが千里中央は駅周囲に都市機能が集約化されているいのに対し、コスモスクエアはどこへ行くにも駅から10分ほど歩くか、ニュートラムに乗り換える必要がある。このわずらわしさが企業の進出意欲を削いでいると考える。
都市機能は拠点駅に集約化するのが王道
近年の再開発手法として、駅前に都市機能を集約しその周囲に居住機能を設けるコンパクトシティ型の開発が一般的になっている。その観点でいえば、展示場やホテルオフィス・商業といった都市機能は拠点駅であるコスモスクエア駅前(緑色着色部)に集約化し、赤色着色部はオフィス需要が増えたときの追加開発用地とするのが王道な気がする。
なぜコスモスクエアはこのような立地になったのか?
ではなぜコスモスクエアでは駅と都市機能が離れているのか?当時の資料が少なく明確な理由は見つけられなかったが、仮説として以下の2点が挙げたい。
①需要を過大評価し、駅前エリアは勝手に開発がすすむと予測した?
②ホテルや展示場を駅から離すことで地域の回遊性を高めたかった?
①について
当時のコスモスクエア新都心計画のイメージパースから、大阪市はオフィス需要を過大評価し、特に都市機能誘導を取り組まなくても勝手にオフィスが立地すると推測していた可能性がある。
②について
先ほど駅前に都市機能を集約化させるのがトレンドと述べたが、これは近年のコンパクトシティ志向の高まりを受けたものでだ。バブル期以前は都市は拡大していくものとの意識が強く、敢えて駅前からをはなすことで人の移動需要を生み出し、経路上の土地開発を促進する開発手法も一般的だった。
イメージとしてはスーパーの陳列方法で、敢えて購入率の高い商品をお店の奥に配置することで客の店内動線長を伸ばし、ついで買いを促す手法に似ている。
さいごに
ここまでコスモスクエアの残念な点について書いてきたが、近年は対岸の夢洲に万博やIRが誘致されており、今後の伸びしろは充分にあるエリアだと考える。駅前の空地もほぼなくなっており、”新都心”の賑わいあるエリアになる日も近いかもしれない。