枝見的考察記

社会/地域/経済の出来事を斜めの視点から描きます。

”京都人は排他的”ってホント?【伏見は京都やないよ】

 

京都に対して”排他的”というイメージを持っている人は多いのではないだろうか。実際京都は”京都カースト”とも言われ、住むエリアによる階層構造が存在し、御所に近いほど良いとされる”洛中志向”が強い。

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洛中を中心に市街地が広がる京都

私自身も大学時代に近所の立呑居酒屋で、初対面っぽい二人のおっちゃんの会話を聞いて驚いたことがある。

おっちゃんA「お兄さんはどこ出身ですのん?」

おっちゃんB「京都の伏見なんですわ」

おっちゃんA「お兄さん、伏見は京都ちゃいまっせ」

 

伏見って京都じゃないの?

真面目な話「伏見は京都じゃないのか?」と聞いてて思った。そこで今回は歴史的経緯を踏まえながら検証していきたい。

住所は京都市

まず伏見の住所は京都市伏見区だ。そのため「京都の伏見」を名乗っても何も問題はない。ではなぜおっちゃんAは「伏見は京都じゃない」と言い切ったのか。

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伏見区は京都市11区の一つだ

伏見は歴史的には京都とは別の街

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昭和7年の京都地図(上の市街地が京都で、下部の市街地が伏見)

上図を見ればわかるように、歴史的に京都と伏見は別々に発展した街だった。京都は御所を中心とした都として、伏見は酒処+京都の外港(淀川水運)として発展した歴史があり、戦後の市街化によって両市街地がつながったと見ることができる。

つまり京都と伏見は大阪と堺や神戸の関係に近いため、京都民が「伏見は京都とは異なる街」と思っていても不思議ではない

同様の理屈は京都⇔嵐山にも当てはまる(嵐山は京都の別荘地で京都ではない)

 

”御所に近ければ良い”は小中華思想?

では京都洛中内の御所に近いほど良いとされる価値観はどうだろうか?この排他的に見える価値観は現代では東京と京都のみにおいて顕著な価値観であるが、歴史的に見れば全国の城下町にも似たような考え方があった。

ではなぜ権力者の膝下であるほど良いとされる”小中華思想的な価値観”が東京と京都でのみ残っているのだろうか?

考えられる要因としては

・天皇の権威は維新後も残っているということ

・東京と京都のステータス価値が全国区であること

があるのではないかと思う。

大阪は東京と京都のアンチテーゼ?

大阪は歴史的に見ると、大阪城下よりも離れた船場や堂島が大阪文化の中心で、東京や京都で育まれた価値観とは一線を画している。これは武家/公家文化の東京/京都に対して大阪が商人文化(反権力志向)だったからと推察される。現在でも大阪は都心部より郊外の住宅地の人気が高く、東京/京都と正反対である。そのため大阪人から見ると、東京や京都の価値観が理解できないと感じてしまうのではないだろうか。

まとめ

・京都と伏見や嵐山は歴史的に別物

・権力者のお膝下(中心部)に住んでると偉いという価値観は昔から全国に存在した

・大阪は昔から権力志向が薄いので京都民の考えに共感できない

 

以上より京都人が他所に比べて特別排他的というわけではないと考える。むしろ京都は西洋文化や新技術の受け入れに寛容で、比較的進取の気質があるのではないだろうか?