枝見的考察記

社会/地域/経済の出来事を斜めの視点から描きます。

コロナ騒動で垣間見えるリーダーの素質

引っ越しやらコロナやらでバタバタしており、長らく更新していませんでしたが、久々に記事を更新したいと思います。

 

リーダーの真価は危機対応に現れる

皆さんは日本の総理大臣についてどう感じているだろうか?”頼りない”や”野党の追及にたじたじになっている”イメージであろうか?

しかし平時において、総理大臣に求められていることは実はそこまで多くない。なぜなら総理案件というのは、既に官僚の発案から、担当の大臣や幹部官僚によって揉まれた(手続きを踏まれた)ものが持ち込まれるものだからだ。即ち平時における政府の有能さは、総理自身の有能さというよりは、ブレーンの腕によるものが大きい。

 

危機対応時は事情が一変する

しかし非常事態には上記の限りではない。非常時には強力なリーダーシップによるトップダウンにおいて矢継ぎ早に施策を実行する必要があるからだ。時々刻々と状況が変化する環境下では対応の遅れは致命的になる。つまり緊急時の対応力にトップの素質が大きく影響する。

しかし日本では・・・

残念ながら我が国においては、この危機対応が上手でない節がある。それは果たして日本の総理大臣が無能だからであろうか?そう単純な話ではない。

例えば、全国の知事には即応的に有効な対策をとる知事がいる。しかし仮にその”有能な知事”が総理大臣になったとき同じ対応が出来るだろうか?



答えは”ノー”だと思う。理由は単純で直接選挙で選ばれた知事は施策を自己裁量で決定できるが、間接選挙で選ばれた総理は意思決定の際に自己を選んだ議員たちとその背景支持母体を蔑ろに出来ないからだ。つまり意思決定までに度重なる調整や根回しが必要になる。

理由はもう一つある。それは日本の官僚機構の意思決定が慣習化されており、非常時においても既存のプロセスを守ることに執着していることだ。

 

プロセスを頑なに守るのは過去の教訓もある

官僚の頑迷さを非難するのは簡単だが、昭和初期の日本では出先機関の正規の手続きを踏まない暴走を中央が追認する事態が横行し、結果的に戦略なきまま大戦争に突入した苦い経験もある。官僚の手続きを重んじる姿勢は、再び国を危うくしてしまうことの予防ともなっているのだ。

 

日本の危機対応の弱さは構造的な問題

即ち、日本の政府の意思決定の遅さは「首相権限の弱さ」と「プロセス遵守への固執」という構造的な理由に依る部分が大きい。意思決定を速めるために首相権限を強くし、手続きに柔軟性をもたせることは、国をあらぬ方向へ導くリスクもあり、しっかりと考察評価しなくてはならない。

(少なくとも、政府の対応が遅いとしたり顔で論評する割には、政府の権限を大きくすることに「政府の横暴だ!」と反発する、ちぐはぐな


コメンテーターのようになってはならないと私は思う。)